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2024年2月22日
ひばりだよりvol.16「体の贈り物」

ひばりだよりです。

今回は、少し前に読んだ本ですが、とても印象深かった一冊をご紹介したいと思います。

 

レベッカ・ブラウン(著)、柴田元幸(訳)『体の贈り物』

 

エイズ患者を世話するホームケア・ワーカーを語り手とし、死にゆくエイズ患者との交流を描いた物語です。

エイズ、死という重いテーマは、しばしば悲哀に満ちた感情的な物語になりがちですが、この作品は全体的に静かで淡々としています。

しかし、だからといって味気ないものでは全くありません。

選び抜かれた言葉たちが、雄弁に読者に語りかけてくるのです。

ただ情景をそのまま正確に描くのではなく、本作品には、作者独自のカメラアイとも言える視点が生きています。

作者が実際に見た情景の中(作者は何年かホームケア・ワーカーをしていました)の、細部にフォーカスをして、部分を豊かに表現しているのです。

 

本のタイトルは、『体の贈り物』ですが、「汗の贈り物」「肌の贈り物」「飢えの贈り物」・・・などのように各章に「~の贈り物」というタイトルがつけられています。

例えば「肌の贈り物」という章を読むと、肌という細部の一点にフォーカスした描写が幾度も出てきて、読者の意識もまたそこに集中していきます。患者の肌の温度や感触がありありと伝わってくるような気がします。

 

彼の両のてのひらを私のてのひらの上に重ねて、ゆるく握った。水を怖がる私に水泳を教えてくれた父もこうやっていた。私は彼のてのひらを下から支えたまま、お湯の中に下ろしていった。彼の両手が、私と一緒に水のなかに入っていく。彼の両手が震えるのがわかった。震えが止まるまでそのまま握っていた。彼のかたちが、水によって滑らかになった肌の手ざわりが、はっきり感じられた。

 

-「肌の贈り物」より

 

 

私たちは、与えられているこの世のすべての物に対して、ありがたがるどころか、当たり前と思って普段は忘れて暮らしています。「失ってはじめて気づく」とよく言いますが、病気や怪我、老化などで、当たり前であったものが、当たり前でなくなってはじめて、かけがえのないものであったことに気づくものです。

だけど、「肌の贈り物」の章を読み終わった時、私は改めて、自分の肌というものに気づきました。いや、元々自分に肌があることは知っているのですけれど、当たり前にあるその肌は、実は贈り物のように尊いものであることにはっと気づいたのです。

そして、この本を最後まで読み終わった時、生きることにまつわるすべてが、かけがえのない贈り物であるのだと、静かな感動に包まれました。

今回は子供向きの書籍ではありませんが、ご紹介してみました。

もし興味を持たれたら、読んでみてください。

 

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