7月のブログ担当になりました、ピアノの北村明日人です。
この教室では主に弦楽器クラスの伴奏を行っています。
今年、私は東京藝術大学の大学院で学生もしており、
生徒と先生の両方の立場で音楽と関わっています。
今回の自己紹介文を書くにあたって、
「なぜ自分はずっと音楽をしているのか」について考えてみることにしました。
私は5歳のときにピアノを習い始めました。
最初の頃はひらすら好きな曲を弾いていて、
クラシック曲よりもジブリやディズニーの曲をよく弾いていたように思います。
小学生からは少しずつコンクールにも出るようになると必要な練習量も増えていきましたが、
ピアノを弾くことが嫌になった時期はありませんでした。
高校からは音楽学校に入ったので、
周りの友達の技術や知識に刺激を受け、
自分自身の音楽というものを確立したいという気持ちがこの頃から芽生え、
現在に至っています。
いま自分が音楽をしている一番の理由は、
「音楽作品の素晴らしさを知れば知るほど、自分自身何も知らないことに気づく」からだと感じています。
どの学問においても同じかもしれませんが、
音楽の分野でも「ここまでできればクリア!」のような明確なゴールはありません。
一つひとつの作品に作曲家がいて、書かれた時代があって、
書かれた土地があって、書くに至った背景があります。
ただ音符を弾くだけではなく、
楽譜には書かれていない作品の歴史に触れることで、
音楽がいかに素晴らしいものかを知るのです。
と同時に、作品に込められている作曲家の想いの深さがより鮮明になり、
それまでの自分の解釈がいかに浅いものだったかを知る・・・
私はこの繰り返しが音楽家としての自分を作っていくと感じています。
世界的ピアニストの内田光子さんはインタビューで以下のように答えています。
「私たち(音楽家)は楽譜が読めます。楽譜には純粋な音楽があります。けれども私たちが音にしてしまったらもう間違いだらけなのです。何でこんなに素晴らしい音楽があるのに私はなんて下手なんだろう、というところから始まるわけです。… 今日もまた違う、どこが違うんだろう、といって毎日が過ぎていくんです。… なんでそんなにも毎日飽かずに音楽をつくろうとしているのかと言われたら、『分からないから』という一言に尽きると思います。」
この答えは、哲学者ソクラテスの「無知の知」に通じるものがあります。
ものを知っている人ほど、自分がいかに無知であるかを知っている。
ソクラテスの話が出たので余談ですが、
古代ギリシャでは音楽は数学・天文学と並ぶ重要な学問に位置付けられていました。
音楽とは調和に関する学問であり、
宇宙の星々が周期的に回るのは宇宙が音楽を奏でているからだ、というのが当時の考えでした。
そして、音楽を学び調和を取ることで、
道徳的な人間になるとも考えていたそうです。
昔も今も、人は音楽にどこか神秘的なものを感じているのかもしれません。
現代でも胎教や「植物にクラシック音楽を聴かせる」といったものが流行るのもその証拠でしょう。
しかし、音楽が自分自身の考え方に影響を与えるというのは確かです。
私は音楽をしていなかったらもっと傲慢だったかもしれないし、
何においても視野の狭い人間だったかもしれないと思うことがあります。
音楽を続けていくことが自分を知ることに繋がり、
その上自分の音楽を聴いてくれる人がいるというのは本当に幸せなことだと思っています。
長々と書き散らかしていまいましたが、
私は伴奏者として、またピアノの先生としてたくさんの方々と音楽の時間を共有したいと思います。
コロナや戦争といった悲しい出来事も多いですが、
時間があるときにはぜひ音楽に触れて、自分自身を整えられてはいかがでしょうか。